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スマイルファーム/中村 広樹代表


スマイルファーム 中村 広樹代表

夢を追いかけ、サラリーマン家庭から牧場主に。

中村さんのキャリアステップ
  • 1999年 / 浦河町の生産育成牧場に就職(19歳)
  • 2003年 / 日高町のオーナーブリーダー生産牧場に転職 場長(24歳)
  • 2009年/日高町にスマイルファームを開業
  • 2013年 / 現在地に牧場移転。土地を取得し名実ともに牧場主となる
現在の主な仕事
  • 軽種馬生産
    種付け、お産、厩舎清掃、餌の管理、草地管理、馬体管理

動物とふれあう仕事がしたくて

幼少のころから動物が好きで、当時テレビでやっていた「ムツゴロウ動物王国」で働きたいと思っていました。
馬を意識したのは、毎日の通学時間に電車から眺めていた大井競馬の厩舎が始まりでしたが、動物とふれあう仕事を探していた時に見つけた乗馬クラブの体験合宿に参加して、「これだ!」と感じました。
今はBOKUJOBでも体験会があったり、牧場のインターンシップなどもあるようなので、当時からしたらうらやましい限りです。
迷っているのならどんなものか、若いうちにどんどん体験するのが良いと思います。

高校在学中に早く馬に携わる仕事をしたくて、親に思いを伝えたところ、最初は反対されました。
自分の進みたい道に行くために説得しましたが、親から出された条件は、勉強してある一定の成績を残して大学に合格すること。
この条件をクリアできたため、親を再度説得して大学を中退し、ハローワークで見つけた浦河町の生産育成牧場に就職しました。

とにかく飛び込んだ馬の世界

ウマを扱う業界に憧れていましたが、どのような仕事があるのかは全く知らず、良く解らないまま飛び込みました。牧場に就職するまでは「専門的な職人の仕事なのかな」との想像だけでしたね。
入った牧場は、育成が中心でしたが、繁殖も行っており、生産からトレセン・競馬場への入厩前の調教まで、一通り経験して馬扱いのイロハを学ぶことができました。
当時、開業から3年程度の新しい牧場で、従業員も多くなく、比較的早い時期から馬の騎乗調教もしていましたし、あらゆることを経験できました。
当時を思い返すと、一日中何かに乗っていたような記憶があります。馬、馬運車、トラック、トラクターetc…ここで覚えた仕事が全ての基礎になっています。
就職3~4年目くらいに何となく自分がしたい馬の仕事も見えてきて、5年ほどここの牧場ではお世話になりました。
「繁殖の仕事をしたい。できることなら自分の牧場を持ちたい。」という気持ちが強くなりました。
牧場をやめて、次のステップに行こうと踏み出したきっかけは、結婚でした。
妻とは同じ牧場で働いていましたし、彼女の実家は生産牧場だったこともあって、結婚と同時期に牧場を辞めるのも理解してもらえました。

牧場の開業

オーナーブリーダーの生産牧場に場長として迎えられたというと少し大げさです。
新しい牧場をともに立ち上げるのに、妻と一緒に働き始めました。
まだ若く経験も浅い私にオーナーはよく任せていただいたと思います。
また、周りの牧場の方たちにも手助けいただきました。
そんな方々の期待を裏切らないように、そして、少しでも携わった馬が競走馬として活躍できるように、日々の仕事をコツコツとこなして手を抜かないことを心掛けてきました。
牧場の開業はタイミングでした。
牧場の場長として働いていたころからオーナーには「将来的には自分の牧場を持ちたい。」と理解をしていただいていましたし、ちょうど後継者がいなく辞める牧場があったため場所を借りて開業しました。
その後、縁あって現在の場所を取得して牧場を移転しました。

馬を育てるのに気を付けていることは、1頭1頭手を掛けて人とのコミュニケーションがとれる馬を育てることです。牧場での仕事は馬と接している機会が意外と少ないのです。
私の牧場は過保護にはせずに、心身ともに健康な強い馬づくりを目指しているため、なるべく多くの時間、外に放牧するようにしています。
厩舎の中にいる間は馬の休憩時間なので、そっとしておいてやると、触れ合える時間はほとんどないですね。その中でいかに人に馴れさせるかを考えてやっています。
一つの例を挙げるとすると、放牧の時に無口頭絡を外すことですね。
うちの馬は放牧した時に顔には何もついていません。その代わりに、馬を厩舎に戻すときには逃げ回って捕まえにくいこともあります。
大変ですけど、それができていれば、競走馬になるための次のステップである育成牧場に行ったときに、扱いやすい馬になっていますし、順調に育成調教が進めば、競馬場でのデビューも早くなるのではないでしょうか。
育成牧場で馬に乗っていたからこれは大切なことだと考えています。

それから、馬と接するときには心に余裕を持たなければいけませんね。
嫌なことがあってイライラしていると、馬も何かを察するのか、捕まえに行っても寄って来ないことがありました。
「そんな気持ちではいけない。」馬たちから付き合い方を教えられたような気持ちになりました。

なかなか評価されることは少ないですが、育成牧場や調教師、馬主さんから『スマイルファームの馬は躾ができている』と日頃の仕事内容を褒めていただけるのが、一番うれしいですし励みになります。

現在牧場を開いているこの地は日本ダービー、皐月賞の2冠と朝日杯3歳ステークスのGIレースを3勝したミホノブルボン号の生誕地で、妻の実家の牧場があった場所です。
いつかミホノブルボンのような馬を生産するのは夢ですが、我々の様な牧場にとってそのレベルの馬を生産するのは運も左右されると思います。
そんな馬にめぐり合うために、一つ一つの仕事をこなしてその運の確率を上げておきたいと考えています。

牧場をやっていると夢は数えきれないほどあります。
セリで高く馬を売ってみたいですし、重賞競走を勝つ馬も生産したい。自分で馬を所有して走らせても見たい。
でも今は、買ってくれたり、繁殖牝馬や子馬を預けてしてくれる馬主さんに喜ばれる馬を育て、これまで支えてくれた方に恩返しをしたいと強く思っています。

オフとプライベート

「動物を扱う仕事は休みが少ない。」とよく聞きますが、まだ駆け出しの牧場経営者である私には休みがありません。妻も家のことと牧場のことで忙しく働いています。
しかし、仕事場と住居は近くなので子供たちとは沢山会話をするようにしています。
私の父はサラリーマンでしたが、単身赴任が多く普段は家にはいませんでした。
遠くで働いていることもあり、特に幼少期には一緒に遊んだ記憶があまりありません。
今は私の子供のころとは逆の生活をしています。
また、両親は定年退職後に田舎暮らしを夢見ていたようで、義父とのつながりもあって、私がこの地を取得する前より隣接地に東京から移り住んできていました。
両親には仕事ぶりを見てもらえるのと、子供のころよりよく会って話ができていると思います。
両親と義父母が近くに居て元気なので、子供たちも行き来して面倒をよく見てもらっています。

オフの時間は、結局競馬や血統の本を読んで勉強していますので、仕事と生活は一緒です。

馬の世界に入りたい人へのメッセージ

牧場を開業して4年経過し、徐々に軌道に乗り始めたこともあって、最近、従業員の募集を始めました。
事業の拡大ではなく、自分たちの生活に少し余裕を持たせるために雇用を考えましたが、人を雇う以上、雇用者としてそれなりの責任を持たなければならないことを意識しています。

馬の仕事に就くには「情熱がある」「やってみたいと思う」「好き」の3つが最低条件だと思います。
それに馬は生き物ですので、仕事が生活の一部になる覚悟があることも必要だと思います。
ハードルを高くしましたが、何をして良いのかわからない人も、殻を破るためには一歩踏み出すことで解ることがあります。 外から眺めているだけでは解らないので、チャレンジすることが大切です。
「行けばわかるさ」と詠う元プロレスラーのアントニオ猪木氏の「道」という詩は、経験したからこそ私の心に響いています。

私の最終的な目標は、まだまだ先になりますが、これまで、そしてこれから作る牧場やノウハウを次世代に引き継いでもらうことです。
私の子供ではなくても、馬産地で頑張ってくれる人がいれば牧場を譲り、私は競馬を見ながら馬券を買って悠々自適の生活を送ります(笑)。
牧場を始める時には色々な人に助けられましたが、苦労が多かったので、次に新規参入する人へ今度は私がお手伝いする番だと考えています。

やる気のある多くの方が馬に興味を持って、この業界に入ってきてくれることをお待ちしています。